夢の中で「代わってあげようか?」と聞かれても答えてはいけない話

これは僕が昔友達から聞いた話です。友人の名前はSで、人柄がよく周りとの交友関係も広い優等生でした。今日はそんなS君と、内気だけど仲の良いN君が体験した恐ろしい出来事をつづっていきたいと思います。

6月の梅雨の盛り――教室の窓には連日、細かな水滴が滲み、外の景色はぼんやりとした灰色に沈んでいた。その頃から、Nはときおり目の下に薄い隈(くま)を作り、授業中にうたた寝することが増え始めていた。Nはもともと口数が少なく、はにかむような微笑みを浮かべては言葉に詰まるタイプの少年だった。だから、多少疲れていたり元気がなかったりしても、Sは特に深刻には捉えなかった。それはただの体調不良か、梅雨特有の憂鬱が性格をより内向的に見せているに過ぎないと思っていた。

だが、6月下旬、期末試験前の放課後にNがぽつりと漏らした言葉が、Sの中に小さな棘のような違和感を残した。

「最近…夢の中で、同じ声を聞くんだ。」
そう言ったNの瞳は焦点が合わず、まるで霧の中で何かを探っているようだった。Nが続ける。「『代わってあげようか?』って…機械みたいな声で、同じ言葉を何度も、何度も…」
Sは困惑気味に笑って「そりゃ奇妙だな」と返した程度で、その日はその話題は終わった。Nは深く語らなかったし、Sも特別問い詰めなかった。誰にでも奇怪な悪夢ぐらいはあるものだと考えたのだ。

7月に入り、梅雨が明けて湿度を含んだ熱気が校舎に満ち始めると、Nは再びSに夢の話をした。ほぼ同じ内容だったが、その声は毎晩のように「代わってあげようか?」と繰り返し、Nはそのたび返答を飲み込んでいるらしい。Nの語り口はか細く、汗ばむ空気の中でも薄ら寒いものをSに感じさせた。しかし、それでもSは「返事をしなければ害はないさ」と楽観的に受け止め、友人を安心させようと努める。

ところが7月後半に差し掛かると、Nは急にこの夢の話題を持ち出さなくなった。それだけでなく、N自身の様子も明らかに変わっていく。一日、一日と経過するごとに、Nはかつての「内気で声の小さい少年」ではなくなっていった。

はじめはごく些細な変化だった。
「おはよう」――朝、Nが挨拶をする。その声は前よりはっきりと聞き取りやすく、少しだけ明るい。Sは「ようやく元気になったのか」と微笑ましく思った。期末考査後の解放感が、Nの気質をわずかに積極的にしたのだろうと思ったのである。

しかし、翌週には、Nは休み時間に身振り手振りを加えて会話を盛り上げるようになった。まるで生まれつき社交的だったかのように、クラスメイトと軽口を交わし、ときに声を上げて笑うほどになった。Sは、そのあまりの様変わりに少し戸惑ったが、友人が積極的になるのは悪いことではない、と無理やり納得しようとした。

だが、日を追うごとに、Nの変化は「好転」では済まされないほど奇妙になっていく。ある日、Nは休み時間にSの方を向き、大きく見開いた瞳でじっと見つめてきた。以前のNなら、長く相手を見つめることすらためらい、その視線は床や窓辺に流れていたはずだ。しかし、今のNは、まばたきもせず、まるで獲物を観察する捕食者のような鋭い視線を投げかける。Sが「どうした?」と声をかけると、Nは不自然なほどに歯を見せて笑い、まるで仮面を剝がれないように注意深く表情を整えるような動作をした。
そのとき、Sは奇妙な圧迫感を覚えた。教室の中なのに、彼らだけが密室に閉じ込められたような息苦しさがあった。

さらに、放課後にNが発する言葉には、妙な浮つきと強引さが混じるようになった。「今度、裏山に行こうよ。あそこに古い納屋があるんだ。面白いものを見つけたんだよ」――まるでずっと待ちわびていた計画を実行するかのような熱意で、NはSを誘う。その瞳はぎらぎらと光り、その声は湿った夏空の下で奇妙な反響を伴って聞こえる気がした。Sは気乗りしなかった。裏山は蚊や虫が多く、荒れた納屋があるという噂しか聞いたことがない。それでもNは聞かなかった。説得ではなく半ば強要するように、2台の自転車を校舎裏の駐輪場から引きずり出した。Sは嫌々ながらNと並んで自転車を漕ぎ、裏山へと向かった。

7月下旬、夕暮れが近づく中、Sは嫌々ながらNと裏山へと向かった。木立の間を縫い、湿気を含んだ草むらを抜けると、そこには本当にボロボロの納屋があった。壁板は腐り、屋根は傾き、内部は埃と古い農具で散乱している。2人は自転車を納屋の外壁に立てかけ、その中へと足を踏み入れた。Nは言葉少なに床板を探っている。やがて一枚の板をめくると、下から強烈な腐臭と、細い縦穴を覗かせる床下通路が現れた。その闇の底には古びた縄梯子が下がっている。

下からは強烈な腐臭が立ち上った。そこには暗い縦穴があり、ぼろぼろの縄梯子がぶら下がっている。「何だよ、これ…」とSは声を上ずらせるが、Nは返事をしない。ただ静かに、ひどく静かに微笑んでいる気配があった。その微笑は声にならない「降りろ」の命令に等しく、Sは逆らえなかった。階下へと降りる縄梯子に手をかけると、冷や汗が背中を伝う。

地中の通路は狭く、湿っていた。鼻が曲がりそうな異臭と、重たい空気が横溢している。Sは足音を殺し、Nに促されるまま奥へと進む。やがて小さな部屋のような空間に出た。その時、Sは目を疑う。錆びた鎖で壁に磔にされた人影がある。それは見るも無残な干からびた躯で、制服はNのものだった。N本人でなければ着るはずもない、同じサイズ、同じ校章、同じ汚れたワッペン。そこに、確かにNは、死んでいる。

目眩がする。では、後ろにいる存在は何なのか。Sはおそるおそる振り返る。そこには、もはやNと呼べる代物はいなかった。顔面が肥大し、眼球と口が癒合したような肉塊が、暗がりに立っている。Sは悲鳴をあげ、恐怖に足がもつれる。

生きていたはずのNはいつから入れ替わったのか?いつからこの「声」に応えてしまったのか?Sは理解する暇もなく、脱兎のごとく来た道を戻る。縄梯子を這い上がり、地上へ出た瞬間、「ずるっ」と縄が抜け落ち、地下で何かが叩き付けられるような音が響く。Sはもはや振り返る余裕もなく、納屋から飛び出した。しかし、そこには自分の自転車が立てかけられたままだ。それを引き起こしている余裕すらなく、Sは走って逃げ帰った。Nを置き去りに――いや、あれをNと呼べるのかすらわからない存在を置き去りにして。

後日、Sは警察に報告し、捜索隊とともに裏山へ戻った。しかし、納屋はどこにも見当たらない。何度踏み分けても同じ地形は現れず、Sは半ば錯乱しながら周囲を探し回った。すると、草むらの中に倒れた2台の自転車が見つかった。確かにあの日、2人が立てかけておいたはずの自転車だ。納屋もNも見つからず、痕跡はその倒れた自転車だけが示している。

警察は不可解な事件として処理しようとし、Nは行方不明者として捜索されることになった。やがてNの家から、1冊の日記が発見される。それはNの様子がおかしくなる直前まで綴っていたもので、そこには自分自身に対する深い絶望や、日常から逃れたいという希死念慮が微かな言葉として滲んでいた。「もう、限界かもしれない」「誰か他のものになれたら…」そんな弱々しい筆跡が、幾度となくページを汚している。その文字は、Nがあの声に心を溶かされていった過程を物語るようだった。

Sは、あの縄梯子が落ちた際にかすかに聞いた声を思い出していた。

「…替わってあげただけなのに…」

その声を聞いたとき、Sはようやくすべてを理解した。Nはあの夢の中の声に「代わってほしい」と応えてしまったのだ。あの無機質な問いかけに答えた瞬間、Nの内面は侵食され、徐々に「別の何か」へと置き換わっていったのだろう。Sが気づいたときにはもう手遅れだった。Nは、夢の中で繰り返される問いに屈し、代わられてしまった。そして、Nが変貌していく様子は、気づけば自然と受け入れられたようにすら感じた。Sはその微妙な違和感を無視し続け、夏の熱気と共に霧散させていたのかもしれない。

「代わってあげようか?」その言葉に決して答えてはいけない。たとえどれほど追い詰められても、弱りきっても、その無機質な声に心の隙を与えてはならない。Nの運命が、その警告をSに刻みつけている。静かな夏の空気の中、Sはもう一度、背筋に寒気を覚えるのだった。

この物語は筆者が夢で見たこと以外は全てフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。

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